生立ち
私は、金光教宇都宮教会で生まれ育ちました。
四人兄弟で、姉、兄、姉、私です。
しつけの厳しい家庭と感じませんでしたし、のちのち友人とかから、他の家庭の話を聞く中でも、なんとなく比較してみた感覚です。
とは言いましても、子供は余計な事をするもので、、、姉や兄はよく怒られていました。笑
何をしたのかは、わからないのですが、私にはその怒られている様子だけぼんやりと覚えていて、とにかく自分は怒られないように気を付けていました。むしろ怒られないようにしなければという恐怖さえありました。
でも何をしたら怒られるのか理解できなくて、そのため怒られるくらいなら、何もしたくないような感覚でした。
それでも場面が変わって食卓では、家族6人で囲むのですが、誰かがなにか探すそぶりなどすると、
醬油かな?それともティッシュかな?と神経を傾け、率先して取りに行きます。
いわゆるマメな子と、よく言われてました。そう言われることが嬉しく、自分の自信になってました。
あくまで自分の気づける範囲ですけど。昔から、常に周囲を気にしていたのだと思います。
この幼少の記憶が、助かりを求めるか中で「自尊心」という言葉を知り、自分の生き方を見つめる中で、とても自分の内面を表しているなぁと感じるのでした。
一概に良い、悪いという事ではなくて、自分を知るという事ですね。
客観的に自分を知るという事は、なかなか難しく、その分大切なことだなぁと感じます。
鳥の目線に例えて、自分を上から見てみるようなことを、信心でもよく言います。信心ではそれが神様からの目線ともとらえられます。
生きにくい時、何か壁に感じることも、目線を替えることで、迷路の解き方がわかるように、生き方の糸口が見えてくるものなのですね。